健康と調和のための食事と生活スタイルガイドライン

※以下の文章は、サンジーヴィニのヒーラーズガイドから抜粋しました。
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はじめに

今日の世界には多くの苦しみがあります。「生活水準」はどの国も向上しました。 しかし、「健康水準」は最低です。世界のどこかの病院を少し訪ねてみてください。 人間の「水準」がどんな状態かわかるでしょう。 自然災害は別として、今日の苦しみの大半は人間が作り出したものです。

貧しい人たちは「剥奪」の病気に苦しんでいます。これらのものには栄養不足(ベリベリ、 壊血病、極端な場合にはエチオピアのようにマラスムスも含む)、盲目、また赤痢、コレ ラ、チフス、マラリア、黄疸のような不潔な生活状態によってかかる病気も含まれます。

他方、金持ちは「豊満」や「過剰」の病気に苦しんでいます。これらには糖尿病、リウマ チ、関節炎、高血圧、心臓病(コレステロール)、腎臓病、喘息、骨粗鬆症、鬱状態、皮 膚病、パーキンソン病、前立腺疾患、癌、胃酸過多や胃潰瘍、胆石、脊椎症、甲状腺疾患、 偏頭痛、肥満やそれに関連する病気、多発性硬化症、痔、副鼻腔炎、敗血症などが含まれ ます。リストし続けてもきりがありません。

かつてこういうシステムがあったときいています。古代中国では、家庭医は月のおわりに お金をもらいます。ただし、家族の誰もその月の間病気にならなかったときのみです。も し、誰かが病気になったなら、その人をよくするのが医者のつとめで、しかも医者はその 月はお金をもらいません。なぜでしょう。医者は自分の仕事をきちんとしていなかったか らです。「予防的な」健康法を実施すること、肉体と精神の健康を維持できるように家族 の食事や生活習慣を指導することが医者のつとめだったのです。言い換えれば、医者は あなたが病気にならないことで利益を受けていたのです。

今日ではその過程は逆になっています。私たちは医者のところに行き、病気になったとき にお金を払います。正直のところ、医者たちにはこのことに対して責任はないのです。私 たちが私たちのみがこれを変えることができるのです。

「健康管理」という言葉が使われるとき、私たちはワクチン、予防接種、健康診断、生検、 前立腺テスト、尿検査、血液検査、CTスキャン、超音波スキャン、MRIなどを考える ようにプログラムされています。 世界中のどの政府も「健康」省、「健康」事業、「健康」保険を持っています。健康はそ れがないことによって目につきます。私たちが実際に有しているものは、「病気」省、「病 気」事業、「病気」保険なのです。何10兆円ものお金が毎年「健康管理」に費やされて います。医療技術の最先端にある国で特に顕著です。しかも、健康でなくて、不健康が日 常の様態です。

なぜでしょうか。

なぜなら、みなさん、健康は薬局では買えないからです。それはお金を「消費」しません。 健康は健全さへの妥協なき追求を要求するのみです。母なる自然と、そのすべての被造物 との平和で調和のとれた共存の道こそが、唯一の健全な道なのです。 皮肉とは思いませんか。私たちはまず不健康を得るためにお金を費やします。(無分別な 過度の享楽)それから、健康を回復しようとして、たくさんのお金と膨大な国家的、人的 資源を費やします。

気になりませんか。私たちは医者や病院に通っているときでも、大量の間違った食品をが つがつ食べ、享楽的で怠惰な生活を続けています。そのどれも災いを付け加えるだけです。

 

現代の病気に対する反応

病気は私たちに否応なく襲いかかってきます。そして、私たちはその場しのぎの「解決手 段」を求めています。 例を取りましょう。私が頭痛がするとします。私の反応はどうでしょうか。痛みどめの薬 を口にほうりこみます。痛みは消えます。しばらくの間だけです。数時間、数日、数週間 後にまた痛みが戻ってきます。さらにたくさんの錠剤を口にほうりこみます。痛みが戻っ てくるごとに、痛みはひどくなってきます。頻度も大きく、持続時間も長くなってきます。 すぐに飲む錠剤の数を増やさねばなりません。なぜなら、痛みはもはや「反応」しなくな ったからです。

これはさらに悪化していき、「偏頭痛」に打ちのめされます。さらに悪いことには、胃酸 過多(これは鎮痛剤の副作用です)になり、ついには胃潰瘍になってしまします。このた めに、制酸剤を飲み始めます。それはしばらく立つと肝臓をいためるでしょう。腎臓をい ためるのもその延長上にあります。その場しのぎの「解決手段」はドミノ効果があり、私 たちの重要な機能がすべて破壊されるところまできてしまいます。 一方、私は次のような病気を生み出す「食品」の一部かすべてで自分を満たし続けていま す。

1.消化できない食品、私たちの身体に緩慢な毒として作用する。たとえば、牛乳、精製 油など
2.暴力的な食品(ノンベジ食品)、これは私たちの身体を腐敗した墓地に変えてしまい ます。
3.発癌性、神経を破壊する食品添加物、合成着色料、保存料、着香料、グルソー。加 ほとんどの工食品、飲料に入っています。
4.苛性ソーダ、ホルマリン、尿素、オキシトシン(女性ホルモン)皆牛乳に入っていま す。
5.放射線照射食品、電子レンジ食品、それらが悪影響があることはいまやっと理解され 始めてきました。

病気に対してどのように対応すべきでしょうか

先ほどの頭痛の例に戻りましょう。痛みは病気ではありません。それは深いレベルで問題 が存在すると言うことを、身体が私たちに告げる方法なのです。 身体は私たちに何を期待しているのでしょうか。 身体は私にもっと知的に責任のある態度で応答することを期待しています。そんな状況下 でなすべきもっとも容易で最良のことは、通常の食品から遠ざかることです。希釈した新 鮮なフルーツジュース、果物、野菜スープで済ませることです。何よりもいいのはレモン 水と蜂蜜で断食することです。このように応答すると、私と私の身体との間に対話のチャ ンネルが開けてきます。数時間のうちに私は何が問題だったのかわかるようになります。 たいていの場合、便秘か不活発な肝臓のためなのです。

私たちが食べたものを消化するには、他のどの活動よりも「エネルギー」をとられます。 頭痛があるときには、食べることをやめるか、果物(果物は自己消化する)のみを食べる ことが、私が身体のためにできるもっとも親切なことなのです。身体から老廃物を除去す ることは、食べることよりもはるかに重要なことです。この活動も「エネルギー」を必要 とします。身体は「ゴミ」を除去するために手持ちの資源を利用することができれば、非 常にありがたいと思うでしょう。ゴミは私たちの中で「悪臭」を放ちます。この悪臭が頭 痛なのです。

頭痛は便秘によるのでなくて、副鼻腔の詰まりによるのだとします(目の周囲と背後には 9つの副鼻腔があります)。「断食」で応答することは、その場合も最良の応答になりま す。詰まった副鼻腔はゴミ捨て場です。体によって生成された過剰の粘液がある(ミルク、 乳製品が主犯です)と、体はその粘液を外に出そうとして副鼻腔に注ぎます。それで体の 正常な機能を営むことができます。副鼻腔は空の空気のポケットです。体の内蔵するゴミ 袋なのです。そして、唐絵だの叡智はそれらをこのように使います。それらがほとんどい っぱいになった場合、額部分に圧力が形成され、そのために頭痛が起こるのです。

私が断食で対応するとき、身体は粘液を排出するというエネルギーボーナスの利点が得ら れます。私は鼻からひどく鼻水がでる重い風邪の症状にかかったことがありました。する と頭痛は直におさまっていきました。ゴミは私の内側にあるより外側にある方がよいとい うことに気づいて、私は自分の「風邪」に幸いだと感じました。私はレモン水と蜂蜜で断 食を続けるか、果物だけを食べ続け、サンジーヴィニで免疫システムを強化し、可能であ れば、1日、重い日常の仕事を休みます。 ゴミが排泄されると、私は自分と、私の内にあるシャクティと、波長を合うようになりま す。そして、私の本能は私に何を食べるべきか語るようになります。

病気を理解する

嫌悪、嫉妬、怒りのような否定的な感情は、私たちの内部に化学反応を引き起こします。 そして、それが自己破壊を引き起こします。私たちの誰もが、遺伝によって引き継がれた、 ある病気にかかりやすい潜在的な傾向をもっています。

病気とは何でしょう。

私たちの欲望は火のごとくです。それに燃料を供給すればするほど、あかあかと燃えさか ります。欲望は必ずしもいつも達成できるとは限らないので、葛藤、怒り、嫌悪の念が入 り込んできます。 病気とは私たちの過度の放逸による自己破壊への飽くなき努力に対する母なる自然の応答 です。病気は私たちを減速させる自然の道です。自然は慈悲をこめて、私たちが崖っぷち に向かっていることを、まず軽い病気で警告してくれます。私たちが頑固に耳を傾けるこ とを拒むと、自然は重い病気で私たちを制限します。

一方、健康は調和へもどる喜びの旅です。欲望、物質の所有、感覚の満足は、それら本来 のあり方で眺められています。愛、信仰、慈悲、分かち合い、援助が、否定的な感情にと って代わります。こうして私たちは内なる導き手に触れるようになります。もし私たちが 耳を傾け、波長を合わせれば、内なるガイドは決して私たちを導き損なうことはありませ ん。

サナタナ(時間を超えたー自然の)のヒーリングの方法においては(この中に私たちは次 のものを含めます。アユルヴェーダ、自然療法、ヨーガ、鍼、指圧、反射療法、ホメオパ シー、ラディオニックス、波動ヒーリング、スピリチャル・ヒーリング、ホリスティック ヒーリングシステム、すなわち、患者は体、心、霊からなると見なされ、治療はその3つ のレベルでなされるシステム)、身体自身のいやしの力を目覚めさせます。その宇宙エネ ルギーはバランスがとれると、あらゆる存在段階のあらゆる狂いをただしてくれます。こ の癒しの力は様々な名前で知られています。ヨーガではプラーナと言います。鍼灸では気 として知られています。ホメオパシーや他の自然療法では、生命力として知られています。 それゆえ、サナタナの健康法では、私たちはその癒しの力を、生かし、目覚めさせ、活性 化し続けるように働きかけるのです。

 

食事の習慣と本能

私たちの食事の習慣は次のものによって導かれています。

a.味覚

b.宣伝による条件付け(医学の専門家たちが得る知識の多くも、広告によるものだとい うことを覚えておいてください。これは直接テレビから得る場合もあります。また、さら に悪いことには、間接的にしかももっと狡猾な方法で、定期的に「研究」を報告する既得 権者によるばあいもあります。その研究は「彼らの製品」は健康によいということを示す 目的があるのです)医学専門家は、商業的利益の手中で知らず知らずに人質になっている のです。

c.社会的な人間関係による条件付け。これには私たちが子供の頃受け取った条件付けも 含まれます。
多くの東洋の国では、客人を厚くもてなすことで知られています。インドではこういうこ とわざがあります、それは、「予期しない訪問客は神である」ということわざです。私た ちは皆外に出向き、訪問客を「神」のごとくにもてなすのです。私たちは訪問客の前にご 馳走を並べます。それらのごちそうは化学的に翻訳すると、病気を引き起こす消化できな い毒物なのです。(このことを理解するために、様々な「食品」に関する関連のある箇所 を参照してください)
そのような食品には害があるということについて、一般の認識は欠けています。もっとも 心が痛み、不幸なことには、気がついている人々でさへも、これらの不消化の食べ物を提 供し続けていることです。それが礼儀にかなったことだからであり、訪問客はもし渇きを いやすために清涼飲料水を、また舌を喜ばせるためにミルクから作った甘い菓子を与えな いと気分を害するにちがいないという言い訳からそうするのです。
私たちが乗り越えなければならないことは、まさにこのような条件付けと仲間の圧力なの です。

私たちの味覚は、ただ健全でバランスのとれた食品のみ摂取することを確認する道具とし て神から与えられたものです。しかし、感覚が私たちを支配するようになって以来、すべ てのバランスは失われてしまいました。私たちは今や五感の奴隷となり、私たちの舌は識 別能力を失ってしまいました。私たちにとってよいものだけを食べるという本能を失って しまったのです。

野生の中では、動物には医者がいません。動物の本能が病気におそわれたとき、どうした ら健康状態に立ち返るか教えるのです。私たちも同じ本能を持っています。味覚の中に隠 れています。健康に立ち返る本能を持っているのです。機会を与えれば、体は自分をどう いやしたらよいか知っています。

私たちが自然と調和していないとき、神の恩寵を汚しているとき、私たちの惑星、母なる 大地、動物、恵まれない人々が、私たちの利己的な目的のために彼らに積み重ねた悪用に より泣き叫んでいるとき、私たちの本能は麻痺し、ゆっくりと死んでいきます。 私たちはマスコミや社会、仲間の圧力によりたえず浴びせられていた条件付けを乗り越え なければなりません。私たちは自然に、調和に帰らなければなりません。環境への調和と 自分自身の調和に帰らなければなりません。ゆっくりとしかも確実に、私たちの本能は目 覚めはじめ、私たちを生き生きとした健康な状態に導いてくれるでしょう。

どうしたら、病気をなくし、生き生きとした健康を取り戻すことができるか。 調和への道に従うことによって、私たちは健康と活力を回復することができます。 健康を取り戻す唯一の永続する道(それは可能です)は、私たちの人生の中で何が病気を引き起 こしているか鋭い意識をもつことによります。誠実な反省を行い、勇気と決断力をもって、変化 のプログラムに乗りださければなりません。では何を変化させるのでしょうか。

1.私たちの食事と生活スタイルから間違ったもの、病気を招くものをすべて除去すること
2.私たちの食事と生活スタイルによいもの、健康を推進するものすべてを付け加えること。

強い意志は最良の強壮剤である。その意志はあなたが自分を神の恩恵を受けている永遠の 子供、人間だと知るとき強くなる。医薬、入院は、この医者の方があの医者よりもうまい とか、この薬の方が他のどれよりもよく効くとか、疑ったり、ためらったり、議論したり している人々のためのものである。至上の医者に帰依しているものは、彼の名前が癒やす 薬である。
                                                                バガヴァン・シュリ・サッチャ・サイ・ババ

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